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水戸地方裁判所 昭和28年(行)5号・昭28年(行)7号 判決

原告 昭和二八年(行)第五号・昭和二八年(行)第七号 所勇司 外一名

被告 昭和二八年(行)第五号―水戸市緑岡農業委員会 昭和二八年(行)第七号―茨城県知事

一、主  文

被告知事が買収期日をいずれも昭和二十二年十月二日とし、別紙目録第三ないし第八の各土地につきなした買収処分は原告勇司と被告知事の間において、別紙目録第九、第一〇の各土地につきなした買収処分は原告あさと被告知事の間において夫々無効であることを確認する。

原告等その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一は原告等の負担、その余は被告知事の負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は主文第一項同旨及び被告委員会が別紙目録第一の土地につき昭和二十七年七月三十日樹立した買収計画は原告勇司と被告委員会の間において、別紙第二の土地につき同日樹立した買収計画は原告あさと被告委員会の間において夫々無効であることを確認する、訴訟費用は昭和二十八年(行)第五号事件について生じた部分は被告委員会、同年(行)第七号事件について生じた部分は被告知事の各負担とする旨の判決を求め、その請求原因として左のとおり述べた。

一、別紙第一及び第三ないし第八の各土地はいずれも原告勇司において、昭和十七年五月二十一日訴外清水馨から買受けたもの、別紙第二、第九、第一〇の各土地はいずれも原告あさにおいて、同年六月十八日訴外佐久間欣雄から買受けたものであるが、原告等は右の各所有地を昭和十七年七月中伊勢島福松外数名の者に貸しつけ、小作料は無料とし、地上の桐立木については施肥の関係上昭和十七年度冬作よりは径四尺以上、昭和十八年度よりは径六尺以上の間をとり右の範囲内には耕作物を植えつけないこと、小作期間は昭和二十年七月二十五日までと定めて、小作させておいたのであるが右期間経過によつて右契約は終了し、その後は純然たる原告等の桐栽培のための自作地であつた。

二、然るところ

(1)  別紙第一の畑五畝歩については、被告委員会は昭和二十七年七月三十日所有者を原告勇司、買収期日を同年九月一日とし、自作農創設特別措置法第三条第一項第一号に基き買収計画を樹立し、その後同年九月二十日にいたり、買収期日のみを同年十月二日と変更し被告知事は右計画に基き昭和二十八年四月二十日原告勇司に対し買収令書を交付して買収処分を了した。

(2)  別紙第二の畑二反五畝二十五歩のうち五畝歩について、被告委員会の前身緑岡村農地委員会は昭和二十三年四月十六日所有者を原告あさ、買収期日を同年七月二日とし、同法第三条第一項第一号を買収の根拠法条として買収計画を樹立し、被告知事は右計画に基き同年七月二日附で原告あさに対し買収令書を交付して買収処分をなした。

一方残地二反二十五歩については、被告委員会は昭和二十七年二月十六日所有者を原告あさ、買収期日を同年三月三十一日とし、同じ根拠法条に基き買収計画を樹立した。そこで原告あさは右残地に対する計画を不服として同年二月二十六日被告委員会に対し異議の申立をなしたところ、同年三月十日被告委員会はこれを却下したので、更に訴願をした結果同年四月三十日茨城県農業委員会は右訴願を容認した。すると被告委員会は同年七月三十日別紙第二の土地全部二反五畝二十五歩について、買収期日を同年十月二日とし、同じ根拠法条に基いて新な買収計画を樹立し、一方さきに樹立した畑五畝歩についての買収計画に対しては、被告知事より同年八月八日原告あさに対し計画において買収の目的たる土地を特定しない違法があつたとの理由で承認が取り消され、買収処分は無効に帰した旨の通知をしてきた。右七月三十日の計画を不服とする原告あさは同年八月十一日被告委員会に対し異議の申立をなしたところ、同委員会は同月二十三日これを却下する旨議決し、同月二十五日附決定書を送付してきたので、更に訴願したところこれも棄却され、昭和二十八年四月二十日被告知事から買収令書の交付をうくるに至つた。

(3)  原告勇司所有の別紙第三ないし第八、原告あさ所有の別紙第九、第一〇の各土地については、被告委員会が昭和二十二年七月七日買収期日をいずれも同年十月二日とし、前記同法条に基く買収計画を樹立したと称し、被告知事は昭和二十三年七月十五日頃原告等両名に対し買収令書を夫々交付して買収処分をなした。

三、然しながら被告委員会の前記二、(1)(2)の昭和二十七年七月三十日附買収計画及び被告知事の二(3)の買収令書交付による買収処分には次のようなかしがあり、当然無効の処分である。

(一)  被告委員会の前記二(1)の買収計画について

(1)  右買収計画については、適法な公告手続がなされていない。

(2)  右買収計画については字南山二の二十二番畑三反五畝十一歩のうち五畝歩を買収することを定めたのみで、その五畝歩の地域についてはこれを特定しなかつたのであつて、即ち内容の不明確な行政処分である。

(3)  右計画により買収の対象となつた畑五畝歩は原告勇司の桐栽培のための自作地であるのに、小作地として買収計画を樹立した。

(二)  被告委員会が昭和二十七年七月三十日に樹立した前記二(2)の買収計画について

(1)  買収計画について公告の手続を欠いている。

(2)  買収の対象となつた土地は原告あさの桐栽培のための自作地であるのに、これを小作地として買収計画を樹立した。

(3)  被告委員会が二反二十五歩につき昭和二十七年二月十六日に樹立した買収計画はこれを取消すことなく、従つて依然として同買収計画が現存しているのに、同年七月三十日更に前記五畝歩を含む別紙第二の土地全部二反五畝二十五歩について買収計画を樹立した。右は同一土地につき二重に買収計画を樹立したものである。

(三)  被告知事の前記二(3)の買収処分について

(1)  買収の対象とした各土地につき、被告委員会は買収計画樹立の議決をしていない。

(2)  仮に右議決があつたとしても、買収計画について縦覧公告の手続を欠いている。

(3)  仮に右議決並びに公告があつたとしても、買収の目的たる別紙第三ないし第一〇の各土地は原告等の自作地であるのに、小作地として買収計画を樹立した。

以上(一)(二)(三)の買収計画に存するかしは、いずれも重大且つ明白なものであり、それらの計画はいずれも当然無効のものというべく、(三)の買収計画に基いてなされた買収処分もまた当然無効である。

かようなわけで原告等は被告委員会の前記二(1)の買収計画については原告勇司と被告委員会との間において、被告委員会の前記(2)の買収計画については原告あさと被告委員会との間において、被告知事の前記(3)の買収処分のうち別紙第三ないし第八の土地に係る分については原告勇司と被告知事の間において、別紙第九、第一〇の土地に係る分については原告あさと被告知事の間において夫々その無効確認を求めるため本訴請求に及んだ。

被告等の主張事実に対しては、被告委員会が昭和二十七年二月十六日別紙第二の畑のうち二反二十五歩につき樹立した買収計画が被告等主張のように買収の目的たる土地を特定していなかつたことは争わないと述べた。

被告等訴訟代理人は原告等の請求はいずれもこれを棄却するとの判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

原告等主張の一の事実中原告がその主張のように本件各土地を訴外清水馨、同佐久間欣雄から買受けたこと及び当時右各土地に桐木が植栽されていたことはいずれも認めるが、買収計画当時右各土地が原告等の自作地であつたことは否認する。

原告等主張の二の買収処分経過に関する事実はすべて認める。

原告等主張の三の事実はいずれも争う。原告等主張のように買収計画の議決及び公告の手続は各計画につき適法になされており(別紙第三ないし第一〇の土地の買収計画は昭和二十二年七月十八日樹立されたものである)、又字南山二の二十二番畑のうち五畝歩の買収計画においては買収すべき地域は図面を作成しこれを明確にしてある。本件土地はいずれも小作地であり、原告等は不在地主であるから、自作農創設特別措置法第三条第一項第一号により買収計画を樹立したのは違法でない。

又、被告委員会が昭和二十七年二月十六日に樹立した別紙第二の土地のうち二反二十五歩に対する買収計画は一筆のうちの一部買収に係り、買収の目的たる土地を特定しない違法が存したので、これが取消をまつまでもなく当然無効の処分である。従つて、右土地を含めて別紙第二の土地全部につき新な買収計画を樹立しても原告等主張のように同一土地につき二重の買収計画を樹立したことにはならない。(証拠省略)

三、理  由

別紙第一及び第三ないし第八の土地が、原告所勇司において昭和十七年五月二十一日訴外清水馨から買い受けたものであり、別紙第二、第九、第一〇の土地が原告所あさにおいて同年六月十八日訴外佐久間欣雄より買い受けたものであること、右土地がいずれも自創法第三条第一項第一号に該当する土地であるとして、原告等主張の二(1)ないし(3)のようにその買収手続が進められたことは当事者間いずれも争いがない。よつて原告等の主張する前記二(1)、(2)の各買収計画ないし二(3)の買収処分の違法事由について順次検討を加えることとする。

被告委員会の二(1)、(2)の各買収計画が公告の手続を欠いているとの点について、

原告等は右表示の買収計画がいずれも公告の手続を欠いていると主張するのであるが、各成立に争いのない甲第二十、第二十一号証及び証人武田実の証言によると、被告委員会は右両計画について昭和二十七年七月三十一日買収計画を定めた旨の公告をなし、同日から同年八月十一日までの間被告委員会事務所において関係書類を縦覧に供したことが認められ、反証のない限り右公告は右事務所の掲示板に掲示してなされ、法定の手続を履践したことを認めることができる。成立に争のない甲第二十一号証によると、原告等は右両計画に対する異議申立書において、原告等に対する買収計画書及び計画樹立の通知書にはいずれも公告日を明記しないとして不服の理由にしていることが明らかであり、その趣旨は公告日の記載がないということはひつきよう公告が適法に行われていないからであるというにあるものと考えられるが、公告日を計画書に記載することは法の求める要件ではなく、もとより右公告日を関係人に通知する必要もないのであつて、前記書面に公告日の記載がなくても、そのことから公告自体がなかつたことの証拠となすには足らないことはいうまでもない。なお被告委員会は最初前記買収計画を樹立したときは買収期日を昭和二十七年九月一日と定めたが、その後同年九月二十日に至り買収期日を同年十月二日と変更したところ、この点については公告の手続をしなかつたことは証人武田実の証言によつて認められるけれども、同証人の証言によると前計画を取り消して新規に買収計画を樹立したものでなく、単に買収期日のみを変更したものであることがうかがわれ、このような場合に新期日について公告を欠くために特に原告等に不利益を与えることは考えられず、前記計画が全体として無効となるようなかしを帯びるものではないと解すべきである。それ故、前記買収計画が公告手続を欠くため無効であるとの原告等の主張は採用しがたい。

被告委員会の二(1)、(2)の各買収計画は原告等の自作地を小作地として買収したとの点について、

原告勇司本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第一ないし第九号証、証人奥村金次郎、同伊勢島福松、同所安司の各証言及び原告勇司本人尋問並びに検証の各結果を綜合すると、原告あさ、同勇司は母子の関係にあつて、原告勇司はセメント瓦の製造販売を業としている者であること、原告等が前記各土地を買受けた当時は、同地上大部分に平均二年生の桐木が二間ないし三間の間隔をおき、一反歩約六十本の割合を以て整然と植栽されていたこと、右土地の一部は前主当時から既に訴外伊勢島福松外約八名の者の耕作に供せられていたが、折柄戦時中の食糧不足の際でもあつたので、原告等は引続き桐の生長するまでの間いわゆる間作を認めることとし、昭和十七年七月新たに契約書(甲第一ないし第九号証)を取りかわして、前記耕作人等に対し、耕作の期間は同年七月から昭和二十年七月までと定め、昭和十七年度冬作よりは各桐立木を中心として径四尺以内、昭和十八年度よりは同じく径六尺以内の地域に耕作物を植付けないこと、桐立木施肥のため原告等が関係土地に立ち入るも異議を述べないこと等の耕作条件を付して無償で貸与したこと、原告等が右のように耕作期間、耕作条件等の定めをなしたのは一面間作をすることによつて自然に桐立木に対する施肥をすることになることと、反面耕作の範囲を逐次減少しなければ桐の生育を阻害することになるという事情を配慮したものであること、その後原告等は前記伊勢島福松に桐栽培の管理を委託する一方、自らも出向いて立枯れの分については補植をなし、或いは桐立木の傍芽をかく等して管理していたこと、原告等は昭和二十年七月の耕作期限後も前記耕作人等の耕作を黙認していたこと、爾来前記耕作人等はそのままの状態で(一部耕作人間に耕作地の移動があり、原告勇司も昭和二十年頃以降昭和二十六年十一月頃まで別紙第一の畑のうち本件五畝歩を除く残地を自作していた)間地を利用し大・小麦甘藷等を栽培し、供出もしてきたこと、そのうち昭和二十二年七月別紙第三ないし第一〇の土地に対し買収、売渡の手続がなされたからというので右土地の耕作人等から原告等に桐立木の撤去を求めたので、同月二十八日原告等は止むなく本件土地全部にわたり右立木の殆んど全部約二千本を訴外奥村金次郎に売却し、同年十月頃これらの立木を伐採し、間もなくその伐根は前記耕作人等によつて掘起されたこと及びその後は一部の土地の周辺に伐り残りの桐立木が点在していた程度で、専ら前記耕作人等の畑地として使用されていたことが認められる。右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定のように前記小作契約は間作によつて原告等の栽培している桐立木に対する施肥の労を省き得るという事情もあつて無償としたのではあるけれども、それが賃貸借ではなくて使用貸借契約であることに変りはないと考えられるのであつて、農地調整法第九条の契約更新擬制の規定は適用の余地がなく、小作契約期間の満了とともにその契約は終了したものとみなければならない。しかしながら、前記認定のように、期間経過後も耕作人等は原告等より格別異議を述べられることなく間作をつゞけ、昭和二十二年十月原告等が桐立木を伐採処分した後は、純然たる畑地として耕作していたのであるから、被告委員会が昭和二十七年七月三十日買収計画を定めるに当り、右耕作は原告等の諒解の下になされているものと考えたとしても無理からぬところがあり、右買収計画を目して明白なかしあるものということはできない。

被告委員会の二(1)の買収計画は一筆の土地の一部を対象とするにかかわらずその買収地域を明確にしなかつたとの点について、

証人武田実の証言によれば、被告委員会は別紙第一の畑五畝歩の買収計画を樹立するに先立ち、現地について実測をし、買収計画に組入れるべき地域を明らかにした図面を作成した上これを議案に添付しこれにもとずいて計画樹立の審議をしたことが認められるから、右買収計画は内容不明確な行政処分ということができない。

被告委員会の二(2)の買収計画は同一土地について二重に買収計画を樹立したものであるとの点について、

原告は別紙第二の土地のうち畑二反二十五歩については、昭和二十六年二月十六日買収計画が樹立せられ、原告あさにおいて異議訴願の結果、訴願を容認する裁決がなされたが、被告委員会は先の買収計画を取り消すことなく別紙第二の畑二反五畝二十五歩全体について昭和二十七年七月三十日に買収計画を樹立したのは、右二反二十五歩に関する限り重複して樹立された違法があると主張するのであるが、右二反二十五歩に対する昭和二十六年二月十六日の買収計画樹立に際し、被告委員会においては買収地域を明確にすべき措置を講じなかつたことは当事者間に争がないのであるから、右買収計画は当然無効の買収計画というべきである。そして証人武田実の証言及び成立に争のない甲第二〇号証によれば、被告委員会は右七月三十日の買収計画につき公告縦覧の手続をとるとゝもに、同年八月一日附を以て原告あさに対し、別紙第二の畑二反五畝二十五歩のうち先になされた昭和二十三年七月二日を買収期日とする買収はこれを取り消す旨及び改めて別紙第二の畑二反五畝二十五歩全部につき昭和二十七年九月一日を買収期日とする計画を樹立したこと、その縦覧期間は八月十一日までであるから異議あらばその期間内に申し立てられたい旨の通知をしていることが認められ、これによれば被告委員会は二反二十五歩についての先の買収計画はこれを無効なものとする旨表明したものと解すべきである。原告あさは先に右二反二十五歩については訴願容認の裁決がなされたことを知つており(成立に争のない甲第十九号証によれば、その裁決書は昭和二十七年四月二十三日附で作成されていることが明らかであり、反証のないかぎりその当時その謄本の送達がなされたものと認められる。)前記通知と相まつて、被告委員会が二反二十五歩に対する先の買収計画を無効として扱つていることを知り得た筈であり、新規の買収計画に対する異議訴願の機会を奪われることもなく、現に異議訴願の挙に出ているのであるから、右七月三十日の買収計画を目して二重の買収計画であり、当然無効のものと主張するのは失当であるといわねばならない。

被告知事の二(3)の買収処分の基礎たる買収計画樹立の議決並びに公告手続が存しないとの点について、

被告委員会は、別紙第三ないし第一〇の土地に対する買収計画は昭和二十二年七月十八日同委員会の会議において上程され議決されたものであると主張し、成立に争のない甲第十・第十一号証によると、右土地を含む約五十二町歩の農地についての買収計画が第一号議案として同日の会議に上程される予定になつていたことが認められるのであるが、右甲第十号証によれば、同日の被告委員会議事録の上では、議長は第二号議案たる異議申立に関する案件の関係人が出頭しているからその方を先に審議する旨を告げてその審議をなし、つゞいて他の案件の審議をしたまゝ前記第一号議案については遂にその審議をしないまゝ閉会したことになつているのである。証人武田実、寺門良隆、小松崎清、小林清は右七月十八日の会議において前記議案も上程可決されたのであるが、議事録に記載するのを脱漏したものであると証言しているけれども、武田証人は前記昭和二十二年七月十八日以後に被告委員会の書記となつたものであり、その証言は前記七月十八日の会議の議案のうちに前記土地の買収計画案が入つており、買収令書も出ているのだから、計画の議決がなされたものと思われるとの趣旨に帰し、又寺門、小松崎、小林各証人は前記日時当時の委員会の書記及び委員であるが、その証言もいずれも正確な記憶にもとずくものであるか甚だ疑わしく、前記甲第十号証の議事録には他の案件についての審議の経過委員の発言等比較的詳細に摘録されていること、又もし議決がなされそれにもとずいて公告の手続がなされたとするならば、買収計画書の縦覧期間欄には通常の事例にかんがみ前記七月十八日又はその後数日内の日より法定の十日間縦覧期間が置かれた旨記載されているべきはずであるのに、成立に争のない甲第十二・第十三号証によると、前記土地の買収処分として原告等に交付された買収令書に添付されている買収計画書には縦覧期間の欄に昭和二十二年七月七日と記載されていることが明らかであり、このことをも考え合せてみると、前記昭和二十二年七月十八日の被告委員会の会議において前記土地についての買収計画が事実審議され議決されたものと肯認すべき心証を得るに至らないのであるから、結局前記買収計画樹立の議決はなされなかつたものと判断する外はない。

又被告委員会は右買収計画の公告縦覧の手続を法規通り履践したと主張するが、その公告の日時縦覧期間をいつからいつまでと定めたか等については具体的にこれを主張立証していないのであるから、結局その手続もまた履践されたものと認めるわけにはいかないのである。

そして、買収計画の議決又は公告手続のいずれを欠いても、その買収計画は重大且つ明白なかしあるものとして当然無効のものといわねばならないから、別紙目録第三ないし第一〇の土地についての買収計画は当然無効であり、その計画にもとずくものとしてなされた買収処分もまた無効であるといわねばならない。

以上のようなわけで、原告等の本訴請求中被告委員会に対し前掲二(1)、(2)の各買収計画処分の無効確認を求める部分は、いずれも理由がなく失当としてこれを棄却すべきであり、被告知事に対し前掲二(3)の買収処分の無効確認を求める部分は理由があるので、いずれも正当として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条・第九十二条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 多田貞治 中久喜俊世 石崎政男)

(目録省略)

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